漁港とガラス工房
数十年も前のこと,ガラス研究者の若手セミナーの会場のために千葉県の海沿いの施設を手配した。レクリエーションのためのアトラクションを探していると,なんと近所にガラス工房があるではないか。なぜこんなところにガラス工房?漁をするときには網の場所を知るために「浮き玉」というものが使われる。今ではすべてプラスチック製だが,かつてはすべて吹きガラスで作られていた。調べてみると,今でも多くのガラス工房の源流が浮き玉の工場(こうば)にあることがわかる。長距離を壊さずに輸送することの困難を考えると,浮き玉のために,漁港の近所に吹きガラス工房が配されたことは想像に難くない。しかし,プラスチックが使われる現在では実用的に浮き玉が生産されることはなく,多くの工場(こうば)が芸術や観光に舵を切った。
国際ガラス年のプロジェクトでもある「まちガラス」の街の一つ,小樽のガラス工芸はあまりにも有名だが,小樽でも石油ランプと並んで多くの浮き玉が作られていた。富山はどうだろう。もちろん富山でも漁業のための浮き玉は作られていたわけだが,面白いのは富山のガラス工芸の源流が主には富山の薬売りのためのガラス瓶にあること。吹いて中空の形を作れる,というガラス成形の最大の特徴は,世界中の漁港で浮き玉を作るとともに,地域の特性に即したご当地ガラスを生産してきた。富山はそこに端を発してガラス工芸のシステマティックな教育施設を日本で初めて開設し,多くのガラス工芸家を輩出していることも興味深い。琵琶湖に寄り添う長浜も,「まちガラス」の街の一つだが,当然琵琶湖の漁業のために浮き玉は必要であったに違いない。しかし,秀吉とかかわりの強い長浜はひょっとすると浮き玉が使われる前からギヤマンを作っていたかもしれない。こうなると想像と妄想が止まらない。長浜は浮き玉か秀吉か。なぞはなぞのままに。
(東京理科大学:曽我公平)